「救いのしるし」  03−11−16
           ルカ11:27〜32」

 <なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」と
声高らかに言う女に、主イエスは、<幸いなのは、神の言葉を聞き、それを守る
人である>とおっしゃいました。直接主イエスに触れるように過ごした人よりも、
神さまの言葉を、自分に語られた神さまからの言葉として聞くことができ、それを
重んじ、それを抱えるようにして生きられる者こそが幸いだとおっしゃいます。
どうしてでしょうか。そのような人は、神さまによる大きな奇跡と不思議を体験して
いる人だからです。神さまの深い思いがその人に向けられていなければ、
そのように神の言葉を聞き、従うことができる者にはなれないのです。

 主イエスは、「ヨナのしるし」とおっしゃいます。それは、旧約のヨナ書に記されて
いることです。ヨナというのは、ニネベの町に神さまからの言葉を届けた人です。
そこに至るまでには、様々な不思議な出来事がありました。最初、ヨナは神さまの
言葉を届けることを拒み、逃亡しました。逃亡中に嵐の海に投げ込まれることに
なります。しかし、不思議なことに大きな魚に飲み込まれ、ニネベの町に連れて
行かれるのです。

 神さまの言葉を聞けるというのは、普通のことではありません。神さまのなさる
数々の不思議抜きには起こりません。その不思議の最大のことは、「神の言」と
ヨハネ福音書が語る主イエスがおいでになり、身をもって神さまの愛を示して
くださったことです。
 また、ニネベの人は、神さまを拒んでいた人たちでした。その人たちが、ヨナの
言葉を受け入れることができた事も、奇跡的なことです。拒むことの方が自然です。
そこに神さまからの大きな働きかけがあったからこそ、それを神さまの言葉として
聞けたのです。
 神さまが、そんな不思議を起こし、奇跡で包み込むようにしてまで、言葉を
聞けるようにしてくださるのは、私たちを救いたいと願っておられることの確かな
しるしです。神さまに心を注いでいただき、そんな奇跡に包み込まれてい

私たちゆえに幸いなのです。